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五つの傷が癒えるまで~Shu's side-3~
そもそもベースは、ギターと違って弾きながら歌うような楽器ではない。しかもタッツンの考えるベースのフレーズは、リズム重視でありながらヴォーカルのメロディを下支えするような構成になっている事も多い。
ヴォーカルにとっては自分の歌うメロディラインがより際立って、確かに歌いやすかったただろう。ただそれを両方1人でやるとなると、俺にとっては考えるだけで頭がこんがらかる話だった。
特殊なベースラインを考え付く人なんだな、と思っていたけれど、ルートの特異な作曲センスやユータやキノの演奏力の高さ、それに元々の歌メロ重視の性質が掛け合わさって出来上がっていったものだったのかも知れない。
それは同時に、個人でベースを弾くよりもバンドのベーシストとして歩いて来た証でもあった。単純に考えれば歌になるのかどうかさえ疑わしい独特なメロディを、笑顔のままに歌い切ってしっかり曲にしてしまう大音響ハイトーンヴォーカルと、何一つ主張する訳でもないのに業界でも屈指の技巧派として海外にまでその名を轟かせるバカテクギタリストと、3人並んで一緒にフロントに立たなければならないのだ。
その為の努力が、何もなかったはずがない。それなのに。まるで自分を使い潰すように、追い立てるように。目の前の光景だけが自分の幸せと言わんばかりに声をからして歌い続け、自分で作った過密なスケジュールに振り回されるタッツンはもう、いくら追い求めても戻れる事のないジャンクを無理に忘れようとしているようにしか見えなくなっていった。
それを心配しつつも、自分の体調が気になり出したのは丁度3度目の全国ツアーの最中だった。タッツンのソロ恒例となった全国のライブハウスを回るツアーが、今回で最後になる事は予め分かっていた。タッツンからの申し出による物だったが、同じ事を続けるよりは少し休んで次を考えるとの話でもあり、そこまで不安になる事もなかった。
いつも通り出発したツアーだったが、妙に疲れる、変に疲れが抜けない事が多くなった。確かにこれだけの数のライブをこなしていれば疲れるだろう、当たり前だ、もう歳なんだからと思いつつ、病院に行くと何か解決するんだろうかと考えたりもしていた。
疲れて治りませんなんて言ったって、不摂生を指摘されるだけだろうか。はっきり説明できるような何かが要るんだろうか。東京に戻ったら去年受けた健康診断の結果でも見てみるかな。
大した事はないはずだと思いつつも、1人逡巡していた。だから決定的に、気付くのが遅れた。何か変だ、と気が付いたのは、タッツンの様子がすっかりおかしくなってからだった。
よろしくない連中とつるんでいる事は、ぼんやり知っていた。けれど元々個人の交友関係に口を出すような事は、タッツン以外にもして来なかった。いちいちそんな事を言って煙たがられるくらいなら、1人でドラムの練習していた方がずっといい。本当に、そんな考えだった。
自分がバンドの為にできる事と言えば、やっぱりドラムを叩く事なんだから仕方がない。心理状態が面白い程音に出てしまうフロント3人に対して、俺やキノはいつも変わらない安定感が身上。体調の良し悪し程度で音が変わる訳がない。
そうこうしながらツアーも終盤に差し掛かる頃には、その日を無事に終わらせる事が精一杯で、朝起き上がるのさえ辛くなっていた。タッツンは勿論他のサポートメンバーも満身創痍、今すぐは何ともできなくてもツアーが終わったら少し養生しよう、タッツンとも少し話そう。
そう思いながらツアーを終えて東京に帰った数日後、まだ調査段階だと前置きをされつつ、タッツンが関わっているとされる案件を多数聞かされた。
まさか、そこまでとは思ってもみなかった。1番長く一緒に居たのに、気付かなかった自分もどうかと思う。思うが、それはもう疑いの範疇を超えていた。
ソロの休止は、まさかそれのせいなのか?なんでそんな物に嵌まり込んでいるんだよ?
意味が分からない、言い訳にでもしたいのか?そっちの方が楽なのか。必死に音楽をやるよりも。ジャンクの事ばかり考えて後悔し続けるよりも、多少気晴らしになりそうな物にでも依存してしまう方が、楽なのか。
そうなのかも知れない。傍から見れば精力的に活動しているように見えても、本当の所タッツンも俺も、ジャンクが止まった時に半分程は頭が止まったままなのだ。我ながらおかしな表現だと思うが、本当に俺も頭を半分ぐらい、止まったジャンクに置いたままでここまで来てしまったような気がしていた。