五つの傷が癒えるまで

40代ブラック勤めワープワのおっさんが今更Janne Da Arcを眺めるブログ

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五つの傷が癒えるまで~Shu's side-2~

 

休止後、当初からの予測通り、ルートのソロは大当たりだった。実際バンドからソロに転向して、上手くいくのはヴォーカルくらいだ。どこの世界にヴォーカルより売れたドラムやベースやキーボードがいるだろうか。見目麗しいギタリストでさえ難しいだろう。1人でジャンクをやっているようなルートに比べ、楽器陣が一般に認知されにくい立ち位置である事は、どうしようもない事実だった。

 

ルートのソロ活動が止まる事はなく、対照的にタッツンは音楽から離れようとしていた。ユータもソロ3部作を作り終え、ツアーも終わって燃え尽きたようになっていた。とは言え、ユータがギターから離れる心配はしなかった。それはキノも同じで、表立っては何もしていなくても、2人にとって音楽は生活の一部。

 

だけど、タッツンは。ジャンクにいた頃から、タッツンは人一倍作品の仕上がりには気を遣う方だった。何かといえば思い悩み、普段の姿からは想像もつかない程1人頭を抱え、そのままどうにも進めなくなってしまっている事もしょっちゅうだった。

 

元々ジャンクでの表現に行き詰まっては、気分転換にソロアルバムを作りたいと言っていたのもタッツンだった。所属メーカーにジャンク専用のレーベルを作って貰おう、そこから発売する物は全部ジャンクなんだから、インスト出してもゲームミュージック出しても問題ないだろうとか、一見無茶な事ばかり言いながらその実、ジャンクの幅を広げてレベルアップしない限り生き残れない、と言わんばかりの切迫感をいつも漲らせていた。

 

本当にもう、音楽はいいのかな。楽しさよりも苦悩や葛藤が勝ってしまうなら、それも仕方がないのかも知れない。1人でいくら音を作った所で、それはジャンクではない。それでジャンクに戻れる訳もなかった。だけど本当に、音楽はもういいのだろうか。

 

そう思っていた頃、急に一緒にスタジオに入ろう、と連絡が来た。新しいソロを始めるにあたってドラマーを探しているのだと言う。いつから始めるのか、音源化するのかライブをやるのかも何も決まっていないまま何曲か音を合わせ、その場で俺の加入が決定した。

 

以前と違い、自分がジャンクの一員である事を明確に打ち出したそれは、俺にとっても安心材料だった。まだ忘れていないし、諦めてもいない。もう1度ジャンクに戻る為に、ソロをやる。俺が一緒にやるのも当然の成り行きだった。

 

ただし。それで誰が何を思い、どう判断するかは、まるで分からない話でもあった。

 

ソロ自体の出来は上々だった、と思う。1バンドのベーシストが楽器を抱えて歌うようなスタイルで、あれだけの支持を集められたのだから大したものだ。ライブをやりすぎたおかげで、かえって集客が少ない地域もあったけれど、それでも。

 

けれど、ツアーを何度も回り、いくつも音源を出す間にも、ルートのソロが止まる事はなかった。俺達も全国のライブハウスを渡り歩きつつ、東京近郊に戻ればすぐにスタジオにこもって音源制作に明け暮れていた。

 

ルートは知らない。レコーディングの最中、タッツンが自分で書いて来たにも関わらず、その歌詞があまりにも辛すぎて痛すぎて、歌うどころか一言も話す事さえできなくなってしまった事。

 

俺は普段そういう事は言わないけれど、いつかきっと届くまで、俺だって同罪なのだから、閉じた心が少しでも温まるまで、俺達だけでもジャンクを忘れずにいよう、と少しだけ話した事も。

 

俺ではダメなんだ。ルートでなければ、ダメなんだよ。少なくとも、タッツンが抱えた問題意識はルートでなければ解決できないと、タッツンが信じ込んでいた事は確かだった。