■
五つの傷が癒えるまで~Root's side-2~
湿気た空気の漂う蒸し暑い階段を、1人で上る。
階段のあちこちに、ちらほらと花束が置いてあるのが見える。
1番上まで上ると、薄っぺらい鉄扉の前に花や色紙、手紙や供え物が沢山並んでいた。
もう十年も経つのにな。
立て掛けられた花束や色紙を倒さないように注意しながら、先に受け取っておいた鍵を使って扉を開け、屋上に出る。
夜明け前の屋上はガランとして、当たり前だけれど誰も居なかった。
タッツンはあの日、どの辺りに居たんだろうか。
詳しい事は分からない。とりあえず広い屋上の端まで歩いてみる事にした。
真ん中辺りにある、ぼんやり灯る頼りない外灯の下まで歩くと、持って来た大きな3つの白い花束をよいしょと抱え直す。
今日はこの後、ユータとキノの所にも行ってみるつもりなのだ。
あれから十年。俺もようやく、ここまで足を運ぶ事ができた。
誰が居なくなった事も理解できず、受け入れる事もできないまま、ずっと決心がつかずに先延ばしにしているうちに十年もの月日が過ぎてしまっていた。
元々ソロアーティストとして再デビューするにあたり、他の事務所、メーカーに移籍する話を水面下で進めていた。けれど皮肉な事にメンバー全員が居なくなってしまった為に現事務所は俺の個人事務所と化し、メーカーにもそれなりの無理が言えるようになったおかげで、結局今もそのまま居残る格好に落ち着いている。
ユータが主催していたイベントは遺志を継いだギタリスト達によって数年後には復活し、観客参加型はそのままに、今では著名な大御所アーティストから売り出し前のインディーズアーティストまで、様々なギタリストが多数出演する大型フェスに成長している。ユータが聞いたら喜ぶだろうな。
あの山は近年宅地開発されて、キノが目指していたはずの山頂部には大きな展望台ができ、星が降る恋人達のデートスポットとして人気なのだそうだ。恋人達のデートスポットか。キノ、拗ねるなよ。
そしてこのビルにあった、タッツンが使っていたらしいスタジオは暫く前になくなり、代わりにカラオケ店や居酒屋が幾つもできている。俺がエドワードさんと来たフランス料理店がどうなっているのかは、よく分からない。
最近になってまた楽器人口が増えているとはいえ、バンドマンを取り巻く環境など大して良くなったりはしないものだ。
音の良いスタジオ、時間の融通が利くスタジオ、良心的な料金のスタジオ、設備の良いスタジオ。
相変わらず毎日争奪戦になっているんだろう。
とてもじゃないけど、音楽やバンドなんて人には薦められないな。
あの後ジャンクの音楽性は再評価され、アルバムやシングルまで売上チャートにどんどんランクインし、過去に出演したテレビ番組や雑誌では追悼特集が組まれ、地方のライブハウスやCD店で専用コーナーが設けられたりもした。
俺に取材の依頼なども来ていたが、全て断った。
自分のソロ活動についてのプロモーション等は勿論こなしていた。
だけどジャンクについては結局、何も話さないままここまで来ている。
今更たった1人になった俺に、何をどう言えって言うんだよ。
苦々しい思いで外灯から離れてまた歩き出し、シュウの分はどうしようかな、と考える。
シュウの花束は事務所に置いてある。
この時期、事務所宛てに沢山のお供えや手紙が届くのも毎年の事だ。
それらと一緒に自宅に送ろうか、それとも花だけ先に送った方がいいのかな。
考えながら屋上の端、薄暗い灯りに照らされた鉄柵の前まで歩いた、その時。
急に真後ろから、本当に突然、すぐそこに居るかのような音圧で4つの楽器の音が鳴り響いて、驚いた俺は思わずわっと叫んで耳を塞ごうとしてしまった。
最初は本当に誰かが近所で演奏始めたか、自分の耳がおかしくなったのかと思ったんだ。
ドラムにベースが乗り、ギターに続いてキーボードの音が聞こえる。
聞いた事のないインストの曲。けれど、誰が演奏しているのかは、本当は考えなくても既に分かっていた。
だけど、まさか、ありえない。
そんなはずはない。そうだきっと、早起きしすぎたせいで寝惚けてるんだよ。
恐る恐る振り返って見えたのは、かつての戦友。
俺の宝物だった、4人の姿だった。