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五つの傷が癒えるまで~Root's side-1~
シュウとユータの訃報を聞き、信じられない思いのまま俺が帰国した頃には、葬儀も終わり周囲も落ち着きを取り戻し始めていた。
その夜は尊敬する先輩バンドのヴォーカリスト、エドワードさんと約束があった。
盟友を相次いで失った俺の為にと、エドワードさんが一席設けてくれたのだ。
場所は郊外の雑居ビル。セキュリティの厳しい上層階のエレベーターを何度も乗り換えて、エドワードさんと一緒に来ていたマネージャーの方に扉の暗証番号を押して貰い、会員制のフランス料理店に入った。
その日はエドワードさんと俺と、顔見知りのマネージャーさんのみ。
後で迎えをよこす、と言って彼が出て行った後は、俺とエドワードさんだけになった。静かに話ができるように、というエドワードさんの心遣いが、俺にはありがたかった。
2時間程の時間を過ごした後、迎えに現れた別のスタッフの方にカードをかざして貰い、一緒にエレベーターを乗り換えた、その時。
ふと、階段を上る男の後ろ姿が目に入った。
カードを持っていないから階段を上っているのだろうが、その背中に、見覚えがあった。
『どうしたの?』
ドアの外を凝視したままの俺に気が付いて、エドワードさんがたずねてくれた。
『いいえ、何でも』
そう返事はしたけれど。見間違い?いや、でも。
何もないふりでそのまま下まで降りて、エドワードさんと一緒に車に乗り込んだけれど。
さっきの背中は、タッツンじゃなかったか。
俺はルート。元々はバンドでデビューして、最近までソロで歌っていた。
バンド名は『ジャンク』と言った。もう十年以上前に活動を休止し、実質解散状態だったジャンクはその後タッツンの脱退を機に正式に解散し、今の俺は名実共にソロアーティストだ。タッツンはバンド時代、一緒にやっていたベーシストだった。
ジャンクはそもそも友人同士が集まったバンドで、タッツンと俺も小学校の頃からの友達だったが、今のタッツンが何をしているのかはよく知らない。
わざわざ知りたいとも思わない。なのに、エドワードさんと別れて帰ってからもなぜかさっきの後ろ姿が気になって仕方ない。
連絡、してみようか。用事なら幾らでもある。
シュウやユータの事も1度ぐらいは話した方がいいんだろう、でも。
もう放っておいてもいいんだろうか。
仕事上の知り合い程度ならこんなに迷わない。
ジャンクは俺の中では、とっくの昔に無くなっていた。
お気楽にあいつらが、ソロを頑張ればジャンクに戻れると勝手に思っただけ。
俺はジャンクには戻れないし、戻りたくもない。
そう思ったからこそのソロだったはず。
それならば、何も言う事はない。
俺は結局いつもと同じ答えを出して、それで終わりにした。
キノが車の事故で帰らぬ人となったのはその翌日の深夜、タッツンが変わり果てた姿であのビルの屋上から発見されたのはそれから数日後だった。
タッツンの遺体は、それはひどい有様だったらしい。
バカ。本気でバカだ。普段あんなにカッコつけのくせに。
死亡時はいわゆる過剰摂取の状態にあったらしく、死因は薬物中毒と推定されている。
薬物、と一括りにされたって、何の薬かも分からないらしいのに。
ネット上では今もタッツンの交友関係が取り沙汰され、連日にぎわっている。
タッツンの死亡推定時刻はキノの前日の夜、とされた。
前日の夜。俺がエドワードさんと食事に行ったあの日。
やっぱり、あの背中は。あの時一言でも声を掛けていれば。
その場では無理でも、もし帰ってすぐ連絡していたら。
それも無理だったとしても、着信1件でも残していれば。
考えたって今更どうしようもない。連絡しなかったのは自分の意思だったんだから。
いつかこんな日が来る事ぐらい、分かっていたはずだった。
キノは普段乗りなれない車に乗って、星でも見に行こうとしていたんだろうか。
後部座席からは愛用のキーボードと、双眼鏡やカメラが発見されていた。
何かにぶつかったような跡もなく、誤って自分から斜面を落ちてしまったらしい。
プレーヤーにジャンクのCDを残したまま。
キノ、怖かった、かな。頭がうまく働かない。
よく分からない。本当に、タッツンもキノも居なくなってしまったんだろうか。
シュウも、ユータも。どうなってるんだ、本当に。
よく分からない。理解ができない。涙も出ない。
そう、涙も出ないんだ。誰とも随分連絡は取っていなかった。
だけどもう本当に、誰とも連絡も取れないんだろうか。
俺の活動を支えてくれるスタッフやレコーディングやライブに関わる人達の数は、バンドの頃より増えていたくらいだ。ファンだって、前より多い。
それは自分が望んだ事だった。後悔なんてする訳なかった。
ジャンクでいるよりも、1人でいる事を選んだのは俺だった。
ジャンクに戻るつもりもなかった。俺にとっては休止の時点で、既にジャンクは解散していたんだ。
だけど。とうとう俺は本当の意味で1人になってしまった。
バンドの解散後もそれぞれを形式上マネジメントしていた事務所のホームページには、解散の時と同じように通り一遍の悲しいお知らせが載り、各方面からお悔やみの連絡が続々届き、花やお供えも山程届いたそうだ。
ご遠慮下さい、としてあったのにタッツンに宛てた物もそれなりにあったらしい。
バンド名義の著作権がどうだの当時のアーティスト契約が何だのと、俺にも事務所からメールが来たり書類が届いたりもしたけれど、見る気にもなれなかった。
俺はまだ、分からない。
悲しくないはずはない。だけどまだ、信じられない。
こうして日々を過ごすうち、落ち着いた頃に急に悲しくなったりするだろうか。
それとも全て過去の事として、何もなかったように忘れていくんだろうか。
バンドはとっくになくなっていた、だけど。
友達、だったのに。俺は今もまだ、分からない。