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五つの傷が癒えるまで~Kazuya's side-1~
湿気た空気の漂う蒸し暑い階段を、1人で上る。
ここのスタジオを使い始めた頃に屋上の鍵を貰っていた。
以前は屋上の緑化などを掲げ誰でも入れるようにしていたらしいが、今は立入禁止になっている。俺が使っているスタジオは中層階にあるが、上層階には最近随分とお高い飲食店が増え、会員制だのエレベーターはカードがないと動かないだの諸々のセキュリティーが施され、結果階段をぽつぽつ上るはめになっている。
バンドなんてとっくに辞めているのに、まだ1人でベース担いでわざわざ練習に来てるなんてな。自嘲気味に考えながら1番上まで上ると、薄っぺらい鉄扉の鍵を開けて屋上に出る。ガランとした屋上の真ん中辺りにある、ぼんやり灯る頼りない外灯の下まで歩いて腰を下ろすと、ポケットから取り出した錠剤を幾つか口に含んだ。
俺はカズヤ。ロックバンド『ジャンク』の元ベーシストだ。
解散した時には少し話題にもなったが、今やジャンクを知る人は少ない。
十年以上活動を休止した後に解散を選んだ俺達ジャンク。
その原因になったのは俺だった。十数年前にジャンクが止まった後、ヴォーカルのルートが始めたソロプロジェクト『アシッドブラックベリー』は一定の成果を見せていた。
それもそのはず。ジャンクの音楽性をそのままソロに落とし込んだようなABBに、かつてジャンクのフレンドだった観客は大喜びだった。
みんなルートの歌声に飢えていたのだ。
フレンドは勿論、俺達だってそうだった。
ジャンクが止まろうが、ルート以外のヴォーカルなど考えられなかった俺は、1人でベースを弾きながら自分が歌う事にした。
ドラムのシュウも一緒にやる、と言ってくれた。
やっていた事はジャンクの頃とそうは変わらない。
基本的には曲を作って、CDを出したりライブをやったり。
違うのはジャンクのメンバーが揃う事がもうなかったという事。
瓶の中身をカラカラと回しながら、また幾つか錠剤を飲み込む。
ジャンクはいつも、何かと問題を抱えがちなバンドだった。
それはもう、デビュー前から。メジャーのファーストシングルでさえ、予定していた曲がメーカー側の都合で変更せざるをえなくなり、急遽2週間程で他の曲に差し替える事態になった程だ。周囲の都合で予定や要求が変わる事も多く、それに文句を言えるのもルートか俺くらいだった。シュウを始め、ギターのユータもキーボードのキノも、みんな大人しすぎるのだ。だから俺は、理不尽には精一杯抗って来た。
ジャンクの為なら、後ろには自分の大事な4人がいると思えばこそ、ここで1歩も退けるものかと必死で闘った事も1度や2度ではなかった。
俺はジャンクが好きだった。この5人の中の1人でいられる事が、ジャンクのパズルの1ピースでいられる事が、俺の誇りだった。
ジャンクでなければ音楽なんてやらなかっただろう。
音楽というよりジャンクが好きだったのだ。
いつも前を見ればルートがいて。その向こうにはユータが見えて。
後ろには俺の守護神、シュウがいて。その向こうにはキノが見える。
大阪時代から続けて来た、そのいつもの風景の大事さを俺はよく分っていたはずだった。